TOYO KITCHEN STYLE
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legs
2007年 11月 8日

「足元のデザイン」

おしゃれの基本は足元にあるといいます。
どんなに格好良くきめていても、靴が汚かったり色のバランスが悪かったりすると、全体がそれこそ底辺から崩れてしまいます。おしゃれ好きのミラノ人は靴の重要さを良く知っていて、Gパンに革靴のときも、スーツにスニーカーを合わせるときも、全体の最終的な雰囲気を考えてきちんと足元のおしゃれをしているようです。

家具の中で洋服だんすや戸棚は「箱物」、イスやテーブル類は「脚物」と呼ばれます。
イタリアの家具の中で、この脚物の「脚」がデザインの特徴になっている製品を見てみましょう。

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アキッレとピエール・ジャコモのカスティリオーニ兄弟が1957年にデザインしたイス「セッラ」は、鉄の鋳物で作った半球状のベースから垂直にパイプが伸び、座面として自転車のサドルが取り付けられたものです。電話をかけるときなど、両足でバランスを保ったままちょっと腰掛けるために作られたスツールです。

1967年にカルテルから発表されたジョエ・コロンボのスタッキングチェア「ユニヴァーサル」は、半円柱の脚が丸く球状になって床に接地しています。これによりイメージの重さが少し浮き上がり、プラスティックのイスらしい軽やかでポ ップな雰囲気に仕上がっています。

ガエ・アウレンティが1980年にフォンターナ・アルテから発表した「ターヴォロ・コン・ルオーテ」は、用途に合わせて自由に場所を動かせるガラスのローテーブル。脚 に車輪が取り付けてあるのではなく、テーブルの脚そのものが車輪になっており、機能と視覚イメージがとても直接的にまとめられた秀作です。

ジャスパー・モリソンによる「アトラス・システム」はアリアスから 1992年に発売されました。アルミ製テーブルのシリーズで、天板を支える脚部パイプが途中で少しくびれています。モリソンは野外に置かれたテーブルの脚に影がかかって、途中で細くなっているように見えたことに美しさを感じ、このデザインに応用しました。

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1993年にベルニーニのためにデザインされた「ブロードウェイ」はガエターノ・ペッシェによるイス。足首の部分がコイルスプリングになっていて、硬い樹脂と金属でできたイスながら、弾力のある座り心地を生み出しています。ちなみに バネは硬めなので、座っていて姿勢が不安定になることはありません。

沢山のロープがガラスの天板からぶらさがっているテーブル「ORG」は、2001年にファビオ・ノヴェンブレがカ ッペッリーニから発表しました。このロープのうち4本は硬くてテーブルの脚になっているのですが、その他がフリーでゆらゆらと柔らかいため、ガラス板が宙に浮いているように錯覚します。

同じくカッペ ッリーニの「ニューアンティークス」シリーズのレストランテーブルはマルセル・ワンダースがデザインし2006年に発表されました。単純に四角い無機質な天板に、アルミを轆轤で削り出し鏡面仕上げを施したアンティークフォルムの脚を組み合わせて、現代に相応しい新しいイメージを作っています。

イタリアンデザインは歴史的にみても、足元にこだわりをもって工夫をこらしているようです。
そしてトーヨーキッチンも足元には並々ならぬ注意を払いデザインしています。一切の妥協はしません!
例えば、日本のキッチンメーカーが右に倣えでフロアコンテナを採用しましたが、私たちだけは採用しませんでし た。なぜなら独自の脚構造『AF(エアフロー)構造』をご提案したいからです。

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大きな特徴は2点あります。

<デザインとして>
キッチンが脚により浮くことで軽快感が生まれ、床がすっきりとキッチンまで延びることで開放感が広がります。壁から離れたキッチンが好まれるなか、とても重要な論点です。

<気持ちのよい空気循環、全体換気 のため>
キッチンが壁から離れ、生活空間がワンルーム化した現在、キッチンの足元に風が通らないことは、部屋の空気循環に影響してしまいます。目に見えない空気の流れも私たちは大切にします。

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今後も、私たちトーヨーキッチンのご提案するAF構造に注目ください。

投稿者 tks : 13:44 | コメント (0) | トラックバック(0)

star & design
2007年 08月 31日

「星や神話とデザインの関係」

ミラノの中心街の一画であるブレラ地区。この芸術ゾーンの核になっている建物がパラッツォ・ディ・ブレラで、有名な美術学校や絵画館を納めています。あまり知られていませんが、実はこのパラッツォ・ディ・ブレラには天文台も所属しています。

ルネサンス後、近世に入って大きく飛躍したヨーロッパの天文学において、イタリアはその発展に大きな役割を果たしています。オランダで発明された望遠鏡を初めて宇宙に向けたのはガリレオ・ガリレイでした。自ら製作した高性能な望遠鏡を用い天体を観測したガリレイは、1610年に木星(ユピテル)の四大衛星イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストを発見したほか、金星(ヴェヌス)の満ち欠けや月(ルナ)の表面の凹凸などの発見をしており、これらの証拠をもとに地動説を主張しました。またシチリアはパレルモ 天文台のジュゼッペ・ピアッツィは1801年の元旦に小惑星ケレス(現在準惑星に定義される)を発見しています。火星と木星の間には小惑星と呼ばれる小さな天体が無数に存在していて、軌道が確定しているものだけでも13万個を超えます。その中でケレスは最も大きく最初に発見された小惑星です。

1764年に設立されたブレラの天文台も星々の観測で優れた成果をあげ、ミラノ天文台として名を知られてきました。その歴史の中で特に重要なのは火星(マルス)の観測です。ブレラ天文台長だったジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキアパレッリは、火星表面の複雑な筋模様を観測して1877年に発表しました。 このときイタリア語で溝という意味のカナーリと呼んだ筋模様が、仏語や英語に翻訳された際に運河を意味するカナルと誤訳されたため、火星には運河を建設するほどの文明が存在するという憶測を生み、アメリカが探査機を送りこむ1970年代まで、100年ちかくも火星人の存在が実しやかに囁かれることとなったのです。

人類は歴史の中で、手の届かない天空を神の世界と考え、夜空に輝く星たちに神の姿を見出していました。上に述べた惑星や衛星の名前は、全てローマ神話に登場する神々の名前なのです。ローマ神話はギリシア神話と関係が深く、ローマ文化がギリシアの影響を受けて発展していく中で融合し、それぞれの逸話や伝説を共有するかたちになりました。人々はそれらの物語と天の星の運行を結びつけて考え、神の世界の法則を理解していたのです。例えば…海神ポセイドン(ローマ神話のネプトゥヌス)の息子オリオンは大地の女神ガイア(ローマ神話のテルス)の怒りをかい、彼女の放ったサソリに刺されて死んだ。其れゆえオリオン座はサソリ座が沈むまで姿を現さず、またサソリ座が現れると恐れをなしたかのように沈んでしまう…と言った具合です。

ちなみにオリオンの死については他にも諸説あり、もっとも有名なのがアルテミス(ローマ神話の月神ディアナ)との恋物語です。月と狩猟の神であるアルテミスは、腕のたつ狩人であったオリオンと出会って間もなく恋に落ち、結婚の約束もしていた。しかし彼女の双子の兄アポロン(ローマ神話の太陽神アポッロ)は妹の処女性を守るために一策を講じ、アルテミスにこう言った。「弓の達人のお前でも、遠くに光るあの的を射ぬくのは無理だろう」。日に照らされて彼方で光っているのものが、海の中を歩くオリオンの水面から出した頭であるとは知らないアルテミスは、兄の挑発に乗せられ弓を引きそれを射ち当てた。数日して恋人を自ら殺してしまった事を知ったアルテミスは嘆き悲しみ、父であるゼウス(ローマ神話の天空神ユピテル)に頼んで、オリオンを空に上げて星座にしてもらった。彼女が銀の車で夜空を渡るとき、オリオンの姿を見られるように…。夜に月が昇るのは、アルテミスがオリオンに会うために、今夜も銀の車(月)で散歩に出かけるからなのです。

アルテミスのイタリア語名がアルテミデ。
有名な照明器具メーカー「Artemide」の名前は、闇夜を明るく照らす月神の名前から取られています。

1931年サン・レモ生まれのエルネスト・ジスモンディは、ミラノとローマで 航空工学を修めた後、1959年に若い建築家セルジョ・マッツァと共にアルテミデ社を創立しました。熱硬化性ポリエステルのFRPによる家具からまり、当初はプラスチックを主材料に照明器具と家具を半々の割合で製造していましたが、‘60年代イタリア・モダン・デザインの盛り上がりの中で彼等の革新的な照明器具は世界の注目を浴び、イタリアを代表する照明器具メーカーに成長しました。

‘60年代はモダニズムの全盛期で、二重の半球で調光するヴィコ・マジストレッティの「エクリッセ」、曲面の造形がいかにもモダン・デザインのジャンカルロ・マッティオーリによる「ネッソ」などの名作が発表されています。ちなみにエクリッセとは太陽や月など天体の蝕の意です。ネッソはギリシア神話のケンタウロス(半人半馬の生物)であるネッソスのイタリア語名で、土星と冥王星の間を巡る小惑星の名前にもなっています。

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トーヨーキッチンがリスペクトするデザイナー、エットーレ・ソットサスも神話や民族的な宗教観のなかにこそ普遍的な美しさが存在すると考えています。現在六本木の「トーヨーキッチンスタイル meuble」にあるBharata  (バーラタ)シリーズの家具を紹介します。
ちなみに、このシリーズの展示は、世界中で「トーヨーキッチンスタイル meuble」だけです。

Mobile giallo & 4Gopuram < Bharata>
モービレジャッロ、クワトロゴープラムは 1988年のBharataシリーズの家具です。
Bharata(バーラタ)とは、インド舞踊バーラタから命名されたシリーズで、ソットサスがメンフィス解散後、インド文化に傾倒した頃の作品群です。インド寺院建築の様式引用、独特の色彩バランスなどメンフィスのコンスプトを独自の世界観のもと発展させています。モービレジャッロではハンドルを異様なまでに大きくし、さらには金箔を施し目立たせることでシンメトリーを強調、コンパクトにまとめられた姿は日本の仏壇にも通ずる精神性を感じるのは私だけではないでしょう。またクワトロゴープラムでは4つの寺院建築(ゴープラム)によって支えられた天板は供物を神にささげる神聖な場所に映ります。天板とそれを支える脚が、寺院と聖域に見えてくるこのテーブルは、生活の中に潜む神性を思い出させてくれます。

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Mobile giallo(左)4Goprum(右)

六本木の「トーヨーキッチンスタイルmeuble」で展示しております。
是非ご覧く ださい。

トーヨーキッチンスタイルmeuble
東京都港区六本木 5-17-1 AXISビルB1F
03-3585-1040
水 曜定休

ムーブルのブログ公開中です!
http://blog.toyokitchen.co.jp/meuble/

投稿者 tks : 17:45 | コメント (0) | トラックバック(0)

E=mgh
2007年 03月 9日

重力とデザイン

物理学において「E=mgh」という比較的単純な式で表されるエネルギーがあります。これは地球の地上付近において、物質が内に秘めているポテンシャルエネルギーを示しています。質量<m>の物質が基準点からの高さ<h>の位置にある場合、その物質が持つエネルギー<E>を重力加速度<g>との積で表したもので、「位置エネルギー」とよばれます。重力加速度は約9.8m/s²の定数なので、同じ質量の物質ならば、より高い位置にある方がポテンシャルエネルギーが高いということになります。例えばテーブルの上にトマトがひとつ置いてあり、それを手に取って頭の上まで持ち上げたとします。そうするとトマトは常にトマトなのにも関わらず、内在するポテンシャルエネルギーが上昇した事になります。その証拠に、そのまま手を放してやるとトマトは床に落ちて潰れてしまいますが、テーブルの高さから落とした場合より余計にひどく潰れて床を汚すことでしょう。手からトマトを放した瞬間から、エネルギー保存則に従って位置エネルギーが運動エネルギーに変換され始め、頭上の高さから落としたトマトには、他方より位置エネルギーが高かったぶん多くの運動エネルギーが作用することとなり、結果としてより速い速度で床に衝突するのです。このような位置エネルギーを生み出しているのは地球の重力です。重力は常に均等に作用しながら全ての質量に重さを与え、我々の生活を支えている欠かせない力です。イタリアの製品デザインにおいて、この重力という要素を積極的に利用したものが幾つかあります。

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ブルーノ・ムナーリの「フォークランド」は、ストッキングに使われる伸縮性の生地を用いた照明器具です。お店で購入した際はペッタンコの状態で箱に収められていますが、家に持って帰って中身を取り出すと重力によって本体が引き伸ばされ、美しいチューブ状の形態がそこで完成されます。この滑らかなフォルムはデザイナーが紙の上で描いて得られる造形ではなく、エラスティックな素材特性と重力によって生み出されるもので、ムナーリは「自発的な形」とよんでいます。
アキッレ・カスティリオーニが1980年にアレッシから発表したビネガー・オイル入れは、蓋の部分にバラストが付いており、使用時に本体を傾けると蓋がヤジロベエの様に水平を保つ仕組みで、重力を利用した自動開閉装置になっています。
リチャード・サッパーの「ティツィオ」は1972年にアルテミデから発売されたスタンドライトで、やはりバラストが取り付けてあります。一般的なスタンドはコイルスプリングの力で本体アーム角度を固定しますが、ティツィオの場合は軸に対して前後のバランスが安定するよう重量設計されており、バネのような機械的機構に頼らず重力のみを利用して任意の位置で静止します。
アンジェロ・マンジャロッティの「エロス」は大理石によるテーブルです。非常に美しいこの素材を製品として扱うとき、問題となる大きな重量を逆手に取って、天板の重みを以って嵌め込みが完全に固定されるデザインになっています。ある日本企業がこの製品を樹脂素材に置き換えて製造したいと申し出たとき、マンジャロッティが「このデザインはこの素材だからこそ成り立つのであって、素材が変るならばデザインも別なものにならなければならない」と返答したのは有名な話です。

以上は重力を製品の構造や機能に利用したインテリジェンスなデザインの例ですが、地球の重力がいつもよろこばしいものだとも限りません。我々は重力によってこの大地に縛り付けられ、常に様々な重みを感じていなければなりません。また仕事や生活の重圧を実際の重量のように感じることもあるでしょう。時にはそれから開放されて軽くなりたいと思うものです。自由とか浮遊感とか、重力を感じさせない要素もまた、私たちの生活を豊かにしてくれるものの一つなのです。

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ピエロ・リッソーニのソファ「ポップ」は構造部に透明なアクリル樹脂を用いて、クッションだけが空中に浮かび上がって見える視覚効果をねらっています。ソファのような大型家具においては、その重量感をどう扱うかで空間との関連性が大いに変化します。
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ミケーレ・デ・ルッキとウーブ・ユーベンスのテーブルランプ「カストレ」は、ガラスの球体による非常にシンプルな照明器具です。球を支える柄の部分が鉛筆の先のように細くくびれてベース部と接続しており、この形状の小さな工夫が、支えられた固体である球を浮遊する重さの無い光の塊りへと変換する役割を果たしています。このような下部のフォルムを弱くして上部にイメージとしての重心を持ち上げた仮分数のようなスタイルは、不安定さ・動き・軽さなど製品の情緒的要素に大きく影響を与える方法として様々なデザインに用いられています。

重力は太陽エネルギーと同じく無料で供給されるクリーンなエネルギーなのですが、季節や天候に左右されることなく常に安定しており、しかも無尽蔵です。なにより素晴らしいのは、このエネルギーが地球上全ての人に対して平等で、誰もが好きな時その恩恵に与れることです。

実は、わたしたちトーヨーキッチンのデザインキーワードのひとつとして「重力」があります。
例えば、照明器具、Giogali(ジョガーリ)です。先にご紹介したマンジャロッティによるこの照明は、ひとつひとつのオーナメントをフックさせていくことで全体を形作ります。重力があるからこそ成り立つ斬新なアイデアとそのシンプルな美しさに感動しセレクトしました。

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もうひとつ、照明のKLUNKER(クランカー)。細いワイヤーの両端にクリスタルオーナメントを取り付けた部品をパイプに掛けたシャンデリアです。均一な重力バランスがあるからこそ成立しています。

その他にも視覚的に重力から解放する「クリスタルAF」、また逆に重力を意識した迫力のISOLAワークトップがあります。是非、各製品のディテールで隠された重力というキーワードを探してみてください。

投稿者 tks : 19:22 | コメント (0) | トラックバック(0)

end of minimal
2007年 02月 15日

ミニマルデザインの終焉

イタリアのメーカーから近年発表された家具の中で、ネオ・クラッシックと呼ばれるデザインスタイルが注目を浴びています。これは過去に流行した様式や装飾を現代の家具デザインの中に組み込み、新たなイメージを生み出すという手法です。生活の中に突如として現れる様式的形態が、現代の住空間とコントラストを成して新鮮な感覚を与えます。(建築や文学においてネオ・クラッシックとは17〜18世紀に興った古典復興活動を指すので、ここでは以後、現在のデザインスタイルを便宜上「ニュー・アンティーク」と呼びます。)近代デザインにおいて、新旧の融合というコンセプトは今初めて生まれた新しい考え方という訳ではなく、今までにも幾つか例が見られます。

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ミラノの装飾美術家/デザイナーのピエロ・フォルナセッティは、ギリシアの建築様式をモチーフにしたイスを1955年に発表しています。これは成型合板のイスの背部に古代建築の代表的な様式であるコリント式とイオニア式の柱頭をシルク印刷したもので、平面化されたスタイルそのものをデコレーションとして用いています。 フォルナセッティが用いたギリシア建築に見られる様式は、紀元前5〜6世紀頃に生まれたスタイルです。ギリシア様式は征服者であるローマ人の文化に取り込まれました。それらは後に古典様式と呼ばれるようになり中世にも引き継がれましたが、これはキリスト教会の権威や教義を支える手段のひとつとして利用されていました。それに対しギリシア・ローマ古典文化の秩序と調和の精神を深め、人間性の向上と個性の発揮を追求しようとした精神運動(人間主義:ヒューマニズム)のもと、フィレンツェを中心にルネサンスが興り、ヨーロッパ中に古典古代の文化を理想とする古典主義(クラッシチズム)が定着しました。その後、封建社会の変化により各国の国王による中央集権化が進み絶対主義体制がとられると、ヨーロッパ文化は王侯の宮廷生活との関係が強くなり、彼らの権勢を顕示するのに役立てられました。特にフランスではブルボン王朝のもとで壮麗豪華なバロック様式が主流となり、さらに甘美で繊細なロココ様式へと変化していきました。それらの過剰な装飾性があまりにも貴族的で、その軽薄さに対する反動が当時のフランスで発展していた啓蒙主義思想を背景として、古典様式の復興運動を生み出しました。 これが新古典主義(ネオ・クラッシチズム)です。
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そのような歴史を持つフランスで現在活躍しているフィリップ・スタルクも、イタリアのメーカーから過去のスタイルを応用した製品を発表しています。スタルクは以前よりプラスティック製ソファ「バブル・クラブ」のように、家具のトラディショナルな形態をデフォルメしてプラスティックの家具に応用した製品をカルテル社のためにデザインしていますが、近年はより様式的な形態を利用するようになり、ポリカーボネイトの一体成型によるイス「ルイ・ゴースト」や轆轤引きの装飾形態をそのまま用いたバースツール「ロイヤル・T」などを発表しています。また伝統的なカットグラスの壺を用いたフロス社の照明器具「シカトリシズ」、フランスのXO社のイス「ぺニンスラ」や「ボン」にも様式形態の応用が見られます。
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ポストモダンの時代にアレッサンドロ・メンディーニは、やはりフランスの様式を題材とした「プルーストのアームチェア」(トーヨーキッチンミュージアム所蔵)をストゥディオ・アルキミアから‘78年に発表していますが、これは各時代に生まれた数々の秀逸なイスをデコレーションの移植によってデザインの再構築を図るという「リデザイン」の手法によるもののひとつで、現在に見られるニュー・アンティークとはコンセプトが若干異なります。
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むしろ同じポストモダンのデザイナーとして有名な、アメリカのロバート・ベントューリが‘84年にノル・インターナショナル社から発表したプライウッドチェアシリーズの方が、考え方として現在の流行に近いと思われます。これは同じ型から大量生産される成型合板をキャンバスのように用いて、過去の典型的な様式をシルク印刷とカッティングという二次元的手法で表現し、構造とスタイルを切り離すことにより表層的なデコレーションとして機能させたものです。


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ここ数年の例ではオランダのマルセル・ワンダースがカッペッリーニ社より「ニュー・アンティークス」シリーズを発表しています。これはとても美しい家具なのですが、あまりにも直接的すぎて残念ながらリスタイリングの範囲で終っているように感じられます。アンティークと呼ばれる形態を現代の技術で再生産しただけの焼き直し品に留まっては、新製品としての意味を失ってしまうのではないでしょうか。

中世の新古典主義が古典古代の復興(リヴァイヴァル)であったのに対し、現在のニュー・アンティークは一度完結した様式美の再利用(リサイクル)と言えるかもしれません。せっかく良いものがあるんだから、それを存分に使わなければもったいないという訳です。また新古典主義は過装飾に対する反動と古典古代の均整・秩序を理想にした精神活動でしたが、現在のものはある意味無装飾に対する反動とも思われます。理想を過去のスタイルに置くのではなく、あくまで現代のライフスタイルのためにデザインされており、その材料として既存様式の一部をちゃっかり拝借するというしたたかさがあります。アンティークを現在から切り離された過去のものとして冷凍保存するのではなく、そこから学び上手く利用して現代に役立てることで新たな意味を生み出しています。

トーヨーキッチンでは、2001年頃から、「ミニマルデザインは終焉を迎える」と訴えかけてきました。
現在はデザインの傾向をウォームテーストという言葉で捉えています。直訳すると「暖かみ」ですが、主張ある形状、存在感に繋がる重量感、経年変化で美しくなるユーズド感、本物だけがもつ素材感・・・これらがキーワードになると考えているのです。GRAND BAY inoのデザイン、空間にも至る所にウォームテーストが見て取れます。

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「キッチンが生活の中心になってきた」こんなフレーズが聞き飽きるほど蔓延しています。しかし本当に生活の中心になったのなら、デザインのプロセスも根本から変えるべきだとトーヨーキッチンでは考えています。

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Vico Magistretti
2006年 12月 8日

マジストレッティとイタリアデザイン

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1920年ミラノ生まれのヴィコ・マジストレッティは'45年にミラノ工科大学建築学科を卒業しました。父親の建築事務所でその活動を開始して、カッシーナ、デ・パドヴァ、アルテミデ、オー・ルーチェ、カルテル、カンペッジなど様々なメーカーのためにデザインを提供し、現在まで常に第一線で活躍してきた建築家です。'48年の第8回トリエンナーレでグランプリを受賞以来、第9回トリエンナーレのゴールドメダル('51)、コンパッソ・ドーロ賞('67,'79,'95)、S.I.A.D(Society of Industrial Artists and Designers/ロンドン)のゴールドメダル('86)等々たくさんのデザインプレミオを受賞しています。今年9月19日に他界するまでの60年におよぶキャリアは、戦後のモダンデザインの流れから生まれたいわゆるイタリアンデザインの歴史そのものと言えるでしょう。

マジストレッティはその勤労ぶりで良く知られ、デザイン分野で少なくとも800、建築分野で約400もの仕事をしております。2年ほど前から体調を崩してあまり仕事をできなくなっていたのですが、それでも4月のサローネでは毎年いくつも新作が発表され、その存在をいつも感じられました。今年のサローネではデ・パドヴァ社よりベルトでクッションを固定するソファ「ベルト」が発表されました。

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マジストレッティは生前のインタヴューの中で、イタリアンデザインが生まれそして育ってゆくその背景にあった要因の幾つかを語っています。

第一に、前回もふれた建築家同士の関係があります。
当時のミラノにはマジストレッティのような戦後大学を卒業したばかりの若い建築家と、戦前より活動しているベテランの建築家との間に誠意のある公平な関係があり、一種の共同体のような雰囲気を形成していました。異世代同業者との交流は仕事上の情報交換の場として、また多くの事を学ぶ学校のような場として機能していたのです。マジストレッティはその頃、ミラノのヴェラスカ・タワーの設計などで有名な建築家集団B.B.P.R.のエルネスト・ナーサン・ロジャースから強く影響を受けました。同じ世代の建築家アンジェロ・マンジャロッティがグロピウスやコルビュジェとの親交から影響を受け、柳宗理がシャルロ・ペリアンから学んだように、直接的な人間関係は知識や文化的思想において大きな影響力があったのです。

第二に挙げられるのは、デザイナーと企業との関係です。
イタリアではメーカーとデザイナーが分離して存在しており、双方が同等な立場で一つのプロジェクトを進める環境がありました。デザイナーと企業主がお互いの能力を全て出し合い、本当の意味でのコラボレーションが行われていたのです。デザインは企業の技術・能力・要求を充分に話し合った後にのみ存在できるもので、プロジェクトの原点や根源について充分討論できる密接な人間関係があったのです。現在多くの企業に見られるような、実行プランのたった完成形に近いデザインを採用して、すぐに生産を考えるなどということは起こりませんでした。

第三の要因は、ここにインダストリーがあったことです。
例えばイギリスには沢山の大きなデザイン学校がありしかも細分化されています。しかしその地にイタリアンデザインのようなムーヴメントが生まれていないのは、製造業とのコラボレーションが殆ど存在しないからなのです。クオリティの高い魅力的な製品は、単に優秀なデザイナーによる机上での作業で生まれる訳ではなく、工業との深い関わりの間にカタチを現してくるものなのです。現在は真の生産の現場が中国などに移ってしまい、経営者と製造者とデザイナーが別々に位置づけられつつあるようですが、かつてはこれらが非常に強く結びついてその成果として良質のデザインが完成されていました。

以上の主な3つのコンディションの中、沢山の中小企業によって構成されていたイタリアのメーカーがデザイナーと共同で、豊かな生活道具を求める消費者のために製造してきた製品は、やがてイタリアンデザインと称され世界中の評価を受けるに至りました。しかしながら現在は急速にこの状況が変化しつつあります。コマーシャリズムによる製品計画が当たり前のようになり、デザインもその一部に取り込まれているように感じられます。
イタリアンデザインは'60年代から始まり40年経った現在もなお続く文化現象であり、前世紀においてこのように長く続いたものはないとマジストレッティは誇り高く言いました。今までに紹介したマリやカステッリ夫妻、マンジャロッティなどその時代を創ったデザイナーたちは、イタリアンデザインを語るときいつも「文化」という言葉を多く用います。文化としての創造活動をあえて強調して推進しなければならない状況が、今ここにあるからではないでしょうか。

日本では一般的に「大企業=良いもの」という慣習があります。一方、大企業側では利益確保重視、安全重視型のビジネスモデルが構築されています。全く新しいことを提案するのではなく、どこかの成功例をうまく活用することに繋がります。その結果横並びの商品を個性的に見せるプロモーションが発達したとも言われています。私たちトーヨーキッチンは、ちょっと大袈裟ですが文化の創造を提案しています。そして文化とは目先の利益を超えた視点があってこそ生まれると考えています。それを実現する原動力は、新しい豊かさを提供することへの使命感です。今年、私たちはPORTO、PUTTON、ISOLA-type2、L-BAY、GRAND BAY ino。多くの新商品を発売してきました。それぞれの夢、ライフスタイルを予感させることを第一に考え開発しています。トーヨーキッチンはこれからも常に新しい試みを続けていきます、よろしくお願いいたします。

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design pioneer
2006年 11月 1日

「デザイン界の先人」


先6月22日アンナ・カステッリ・フェッリエーリが、そして9月19日にヴィコ・マジストレッティがこの世を去りました。この二人の偉大な建築家/デザイナーの死はテレビニュースなどで報じられ、ミラノの人々に深い悲しみを与えました。彼らはカスティリオーニ、ソットサス、マリなどと並び、‘60年代から現在まで世界を魅了し続けるいわゆる「イタリアンデザイン」を創り上げた主要人物です。さらにこの10月初め、アンナ・カステッリ・フェッリエーリの夫であり、プラスティックの家具で有名なカルテル社の創設者ジュリオ・カステッリも他界しました。

彼らがその長いキャリアの中で生み出してきた数々の製品は、我々若いデザイナーにとって沢山のことを教えてくれる教科書のようなものでした。そうした先人の損失をこの同じ場所ミラノで体感するにつき、時代の変化や世代交代という事柄を考えるようになりました。それではこれからの時代のデザインとはいったいどんなものでしょうか。どうあるべきなのか、考えずにはいられない状況が今ここミラノにあるように感じます。

'98年東京のアキッレ・カスティリオーニ展において、体調を崩したカスティリオーニに代わり来日講演したカステッリ夫妻は「モダンデザインの伝統に立ち返り、新しい文化的な機能をデザインによって生み出していかなければならない」と述べています。この言葉を解釈して「良質のデザインが次々と生み出されたモダニズムの時代のやり方を見直し、(商業主義の片棒を担ぐようなものではなく)新しい文化の創造としてデザインがあるべきだ」と言い換えるならば、前回の記事で紹介したエンツォ・マリの考え方に符合します。果たして彼らの言葉は、「昔は良かった」という古い世代の懐古趣味的な思想の産物なのでしょうか。彼らは第二次大戦中に学業を修め、戦後の産業成長の中でその一部を担い、そしてつい最近まで第一線で活躍していました。イタリアンデザインのこれまでを全て見てきた人達のデザイン観には、やはり説得力があるように思われます。
デザインとは常に工業と芸術の間に生まれ、文明と文化の間に位置するものです。商・工業の価値観に捕われ過ぎてはその文化的側面を失われ、一過性の単なるカタチの遊びに終始してしまいます。我々はこれからを考えるためにも、イタリアンデザインというものの土台や背景を理解する必要があると思います。
ジュリオ・カステッリ、アンナ・カステッリ・フェッリエーリ、ヴィコ・マジストレッティ、1920年生まれでミラノ工科大学出身の三人がこれまで行ってきた活動を振り返り、彼らの時代と現在のデザインを取巻く環境を比較することが、これからのデザインを考える材料になるのではと考えます。

ジュリオ・カステッリはミラノ工科大学で化学工学を専攻し、ジュリオ・ナッタ(ポリプロピレン等の重合に用いられる触媒の研究で1963年ノーベル化学賞を受賞)に師事しました。木、ガラス、陶器、金属が主材料だった生活道具が急速な勢いで新しい素材である合成樹脂に移行する中で、1949年、プラスティック製品の製造会社カルテルを設立しました。以後、沢山のデザイナーを起用して世の中に新材料による新しいカタチを持った製品を送り出すようになります。こうしてカルテル社の製品は'50年代の合理主義に基づくモダンデザインの中心となり、金型大量生産による優れたデザインの製品はイタリア中の家庭に普及し、遂にはイタリアンデザインを発信する企業として世界に名を知られるようになりました。

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そのカルテルのもう一人の創設者であり、デザイナーであり、アートディレクター(‘76-‘87)であったのがアンナ・カステッリ・フェッリエーリです。彼女は‘69年から‘72年までADI(インダストリアルデザイン協会)の会長を務め、ミラノ工科大学やドムスアカデミーで教鞭を取りました。カルテル以外にもアルフレックス、イカミ、サンボネなど様々なメーカーにデザインを提供しています。
フェッリエーリは1943年、女性で初めてミラノ工科大学建築学科を卒業しました。'46年に自身のスタジオを開設。後に編集長になる「カーザベッラ-コンティヌイタ」誌の編集者を務め、そこでフランコ・アルビーニと共に働きながらデザイン的に強い影響を受けました。‘59年から‘73年までイニャツィオ・ガルデッラとコラボレーションを行い、この間にカルテル社やアルファ・ロメオ社テクニカルオフィスなど沢山の建築を手掛けました。 次回紹介するマジストレッティは当時を語るとき、このように建築家同士の繋がりが強かったことを強調しています。年齢やキャリアに関係なく交流があり、そこから影響を受けたり学ぶことが大きかったが、今のミラノにはそのような雰囲気が無くなってしまったと言っています。同業者の交流は思想や知識の向上において相乗効果を生み、全体としてのレベルアップを促しました。こうした集まりの高まった機運からモダニズムなりラディカリズムなりのムーヴメントが始まったのです。それに対し現在は、強い影響力を持つ限られたデザイナーが孤立して点在するため、このようなことが起こる環境にはありません。また間接的に影響を受けた他の者は、デザインの本質ではなくそのデザインスタイルを模倣することとなります。残念ながら、そこから生まれるのは新しい文化ではなく、流行とよばれるものです。

トーヨーキッチンでは、イタリアデザイン界の生み出したムーヴメントとして代表的なメンフィス、そしてその立役者であるエットーレ・ソットサスJr.に注目しています。個性的、現代的でありながら本質には「プリミティブな力」を感じる作品は他に類を見ません。
11月からカーザブルータスなどの雑誌広告のビジュアルを新しいものにしました。その中央に鎮座するキャビネットは、ソットサスの「Bhareta(バラタ)」というシリーズで、彼自身インド文化に傾倒した時の作品です。この作品を空間に配するだけで、空気が変わる。そんなパワーの持つ家具が、今後のインテリアデザインのヒントになると考えています。

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ETTORE SOTTSASS Jr "Bhareta.Mobile Giallo"

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two artist
2006年 10月 6日

ふたりのアーティスト


イタリアでは専門職の人の肩書きには一定の決まりがあります。医者や会計士はドットーレ、技師・エンジニアはインジェニェーレ、弁護士はアッヴォカート、建築家はアルキテットなどなど。これらは個人の職種を表すものではなく大学の学部卒業時の学士号です。例えば建築事務所などで建築デザインの仕事をしていても、その人がデザイン学科出身の場合はアルキテットと名刺に書くことはできません。逆にプロダクトデザインを専門にしていても、建築で学士を持っている人はずっとアルキテットなのです。一方デザイナーには肩書きの明確な決まりがありません。日本などより長い工業デザインの歴史を持ちながら、大学にデザイン学科が設置されたのはほんの10年程前のことなのです。イタリアでは家具・調度品・生活道具など住空間に必要なモノたちも建築の一部と考え、建築家がプロダクトデザインを行ってきたのです。
しかしイタリアのデザインの歴史を作りあげてきたのは建築家だけではありません。あるふたりのアーティストが非常に重要な仕事をしてきたのです。

1907年ミラノ生まれのブルーノ・ムナーリは20世紀初頭イタリアで盛んだった未来派の流れの中で、第2期未来派の芸術家として活動を開始しました。ファシズム政権時代はグラフィックデザイン(カンパリ、モンダドーリなど)を主な仕事としながら視覚芸術の研究・発表を続け、第二次世界大戦後はイタリア内外で数々の展示会を開催して、芸術やデザインの分野に大きな影響を与えました。ムナーリはまた、幼い息子のために絵本を作りはじめたのをきっかけにして、子供の教育に対する芸術分野からのアプローチを研究しました。遊びの中から何かを発見し学びとる子供の心理を研究し、フォームラバー製のサル「ジジ」(‘54年コンパッソ・ドーロ受賞)など玩具のデザインも行いました。‘56年、本当に良い製品を作りたいと相談を持ちかけてきたブルーノ・ダネーゼとのコラボレーションが始まり、生活道具の分野に彼のアーティストとしての視点とモノ観を反映させていきます。無駄のない形態で美しい「クーボ」はタバコの吸い殻が見えず掃除もし易い灰皿。「フォークランド」はストッキングに使われる伸縮性生地を用い、素材の自発的な形が重力によって生み出される照明器具。ダネーゼ社より発表されたムナーリの製品は世界中の注目を浴びました。そのほかスウォッチ社の腕時計「テンポ・リーベロ」やロボッツ社の可変・ノックダウン式生活スペース「アビターコロ」などの製品デザインをしています。

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ムナーリは‘98年に他界するまで視覚伝達やデザインについて沢山の文章を書いていますが、その中で代表的なのが‘66年に出版した「アルテ・コーメ・メスティエーレ」(「職業としての芸術」の意。邦題は「芸術としてのデザイン」)です。この本の中で彼はあらゆるデザイン分野におけるものの見方・捉え方・考え方を分かり易く解説しており、個人的にはデザインを学ぶ学生達にとって必読の書だと思っています。

ムナーリがダネーゼ社の製品を手掛けるにあたり、もうひとりのデザイナーとして白羽の矢を立てたのがエンツォ・マリでした。1932年ミラノ近郊ノヴァラ生まれのマリはミラノのブレラ芸術アカデミーを終了後、視覚芸術のアーティストとして製品デザインの仕事を開始しました。ダネーゼ社のためにデザインした傾斜したごみ箱「イン・アッテーザ」、上下両方使える花瓶「パゴパゴ」、ステン板を捻ったペーパーナイフ「アメランド」、フルーツボウル「アダル」など、視覚的効果と心理の関係に重点を起き、かつ素材特性と生産工程を研究した上でのカタチを生み出しています。

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マリは厳しいデザイナーとして有名で、イタリア商工業の現状やデザイン教育の問題点について常に辛辣な発言をしてきました。最近は特にここ数年のデザインを取り囲む環境の急速な商業主義化を憂いでいます。これは不況と通貨統一の影響でイタリアの産業・経済が不安定な状態にある中、経営者や投資家など一部の資本家が台頭してアメリカ的なマーケット理論による生産・販売活動を進めていることが、文化と呼ばれるようなものとはかけ離れた金儲け主義の産業構造を生み出しているというものです。企業そのものやデザインの価値を理解していない資本家が経営者となり、目先の利潤のためのモノづくりをしている現状は、イタリアン・デザインをここまで育て上げてきたかつての土壌とはまったく異なります。確かに現在のメーカーはすぐに生産してすぐに売れるような出来上がったデザインを求めているふしがあり、デザイナーと共同でじっくり製品開発をして良いモノを作り上げようという精神が希薄になっているように感じます。

商・工業を熟知し共生しながらもそれに呑み込まれることなく、新しい文化の創造として製品デザインをするアーティストの作品は、過去の遺産ではなくこれからの世界を作る方向を指し示す道標のようにも見えます。


私たちトーヨーキッチンも、今売れるものを追い求めるのではなく「これからの生活を豊かにするもの」をテーマに製品開発を進めています。それは見えていないニーズであり「新しいこと」への取り組みで紆余曲折、試行錯誤の繰り返しです。2006年私たちは多くの新製品を発売いたしました。キッチンの新たな可能性の提案なのです。

9月28日 スタジオ南青山で発表した「GRAND BAY ino」はシステムキッチンの最高峰GRAND BAYをさらにブラッシュアップし拘った完全受注生産キッチンです。
斬新な135°レイアウトに隠された「新しい空間」「新しいキッチンの在り方」をまずはスペシャルサイトで体感ください。

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giapponese
2006年 09月 1日
世界から注目され始めた「日本デザイン」

前回はワールドカップ決勝戦にちなんで、イタリアのデザインに関係の深いフランス人デザイナーを採りあげましたが、一方我らが日本人の活動はどうなっているしょうか。

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ミラノで初めてその名を知られた日本人デザイナーは柳宗理だと思われます。1957年に開催された第11回ミラノ・トリエンナーレに出展した日本ブースが金賞を受賞し、柳による成型合板の腰掛け「バタフライ・スツール」のデザインが注目を浴びました。'80年にはミラノ近代美術館に招待されて個展を開催しています。

ミラノを中心に活動している日本人デザイナーは沢山いますが、その中でも特に蓮池槇朗の仕事はイタリアデザインの歴史の中で重要な役割を果たしてきました。'63年に渡伊し、ロドルフォ・ボネットのデザイン事務所に勤務。'68年に自身の事務所をミラノに開設し、今日まで常に第一線で活躍しています。トイレブラシ「クッチョロ」('74年)や、給湯器「プリズマ」('80年)および「ジャンカルド」('86年)などはイタリアの家庭にとても浸透しており、友人の家でトイレを借りた際など幾度となく目にしました。'82年には「MH Way」を創設し、バッグのデザイン・製造・販売を行う自身のブランドを作り上げ、成功を収めました。今年のサローネではコリント社より幾つかのソファーを発表しています。

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イタリアのデザインと日本人の関りにおける近年の大きな変化は、深澤直人と吉岡徳仁という日本を代表する二人のデザイナーがイタリアのメーカーから次々と作品を発表していることです。 無印良品の壁掛けCDプレーヤーや、auの携帯電話、±0の家電製品などで知られる深澤直人は、現在世界で最も注目を浴びているデザイナーのひとりです。昨年につづき今年のサローネでもドリアデ、アルテミデ、ダネーゼ、B&B、マジスなど有名メーカーから沢山の製品を発表しました。人間(使用者)の心理と行為の関係から生み出される深澤のデザインはヨーロッパでも受け入れられ、年々知名度を上げているようです。
吉岡徳仁は'02年に「Tokyo-pop」を発表して以来、ドリアデ社に毎年つづけてデザインを提供しています。今年のサローネでも楕円断面のメタル構造のイス「オーバル」の他、独自に開発した「パーネ・チェア」を発表するなど、世界に向けて彼のデザインを顕示する場としてミラノを存分に活用しています。
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ミラノを拠点に活動するデザイナーは多いのですが、日本で活躍し、その実力が認められた結果イタリアのメーカーの為に仕事をするようになったのは(一部の例外を除き)最近まであまり見られなかった出来事です。日本人がミラノに渡り、その環境の中でイタリアのデザインをすることと、日本で培われたデザイン(の考え方)をイタリアで実現するということは、別の意味をもっていると思われます。日本の伝統と文化が生み出した「ジャパン・スタイル」あるいは「禅・スタイル」と呼ばれるものがヨーロッパで高く評価され取り入れられてきた歴史はありますが、近代デザインの中では初めて「デザイン・ジャッポネーゼ」がイタリアのメーカーを魅了し、ひいては世界のデザインに影響を与えはじめているようです。

近年、イタリアをはじめ、ヨーロッパのデザイン界でトーヨーキッチンは非常に注目されています。
PUTTONやISOLAが全世界で販売されている建築誌DOMUS(ドムス)やottagono(オッタゴノ)に掲載され、今後も既に取材を受けているものだけでもドイツ、韓国などのデザイン誌に掲載される予定です。また、社長渡辺はもっとも権威あるデザイン賞の一つであるifプロダクトデザインアワードの審査委員を務めました。

日本を中心に活動しているトーヨーキッチンがなぜ世界的に注目され始めたのか?
今まで鎖国状態だった日本のインテリアデザイン業界が近年開国し、日本独自の視点が評価された結果だと考えています。これを世界へのチャンスと見るか、海外製品流入の危機と見るか!? 私たちトーヨーキッチンは、国内ユーザーのデザインへの意識を高める正しい流れだと考えています。みなさんはどうお考えですか? 世界を視野に入れたデザイン、開発を続けるトーヨーキッチンに今後も注目ください。

ホームページトップページの「Media information」にマウスオーバーで各媒体に取り上げられた面白い記事をご覧いただけます。

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France
2006年 08月 1日
先日、サッカーの第18回ワールドカップが終了し、イタリアチームのアッズッリ(空色たち:シャツの色からこう呼ばれるようになった)がチャンピオンの栄光に輝きました。24年ぶりの優勝を懸けた決勝戦当日、ミラノの中心ドゥオーモ広場に設置された観戦用の巨大スクリーンの前には溢れんばかりのサポーターが集結し、盆と正月とクリスマスと復活祭が同時に来たようなお祭り騒ぎでした。1対1の同点でPKにもつれ込み、イタリアのキックで優勝を決めた瞬間ミラノ中から歓喜の雄叫びが一斉にあがり、その後はもう狂喜乱舞のたいへんな騒ぎ。歌い、踊り、叫び、そしてみんな車にハコ乗りしてイタリア国旗をはためかせ、クラクションを鳴らしっぱなしで街中を走りまくるのです。この祝賀大暴走行為は夜中の3時まで続きました。この試合で一番話題になったのが、対戦国フランスのジダン選手による頭突き事件でした。

ジダン選手の切長の鋭い目を見ていると、同じように鋭い目つきのフランス人建築家ジャン・ヌヴェルの顔を思い出しました。

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1945年フランス南西部フュメル生まれのジャン・ヌヴェルは‘70年パリに事務所を開設し、数々の建築を設計してきました。リヨンの国立オペラ劇場やカルティエ財団現代美術館などで知られ、特にミッテラン大統領の推進した「グラン・プロジェ」のひとつ、パリのアラブ世界研究所の設計で有名です。‘90年代半ばより家具のデザインも手掛けるようになり、マッテオ・グラッシ社のレザーテープを巻き付けたイス「MMチェア」、ゼリタリア社のカラーガラスで色彩のコンポジションがなされているユニット「コンパクト」、モルテーニ社の重力を利用した棚システム「グラデュエイト」など、イタリアのメーカーから沢山の製品を発表しています。

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現在、世界で最も有名なフランス人建築家がヌヴェルであるならば、デザイナーではもちろんフィリップ・スタルクでしょう。パリ出身のスタルクは‘80年代終り頃からイタリアで活躍しはじめ、その非凡な造形の才能で世に知られるようになりました。次々と人の目に新鮮な驚きを与える独特な形態を生み出していましたが、近年は以前と異なり、全体にはベーシックで癖のない形のどこかに特徴をひとつふたつ持たせることで逆に存在感を引き出すようなデザインへ変化しています。今年のサローネでドリアデ社から発表されたイスとテーブルのセット「ワン・カフェ」は、矩形断面アルミパイプのストラクチャーで現代的冷静さを表現しながら様式的形態の一部を織り込んでいます。

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若いフランス人デザイナーで注目を浴びているのがオーラ・イトです。有名ブランドの擬似プロジェクトをCGで綿密に造りあげ、HP上で公開し企業を挑発するというある意味ゲリラ的方法で知名度を上げ、実力を認められたデザイナーです。彼の(本当の)プロジェクトもカッペッリーニ、B&Bといったイタリアのメーカーから発表されています。特に昨年アルテミデ社より発表された極細蛍光灯を用いた照明器具「ワン・ライン」はとても美しいデザインです。

国境の一部が接しているフランスはイタリアにとって言わばお隣りさんなのですが、国民性は非常に異なります。デザインの世界でもイタリア人とはまた違う美的感覚を持ち合わせているようで、そのためイタリアのプロダクトにおいてフランス人デザイナーは良い刺激を与えてくれる重要なパートナーなのです。

私たちトーヨーキッチンもイタリア、ミラノにデザイン拠点を構えながらヨーロッパ全土にアンテナを張り巡らせデザイン、情報収集をしています。

今回、ご提案させて頂くのが、ベルギーから直接取り寄せたフラワーベース。

『お花をアートにかえてしまう!?フラワーベース』のご提案です。

6つの球が繋がった「6連」1400円 その他12種類を取り揃えました。

私たちは、生活にお花を取り入れること、どんなお花を飾るかを想像することはインテリアを考える第一歩として考えいます。この機会に生活にお花を飾る楽しみにチャレンジしてください!

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Edra
2006年 06月 9日
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独自の製品コンセプトで突き進む「エドラ」

ミラノの中心ドゥオーモの広場からガッレリアを抜けるとオペラの殿堂スカラ座があります。その脇道を少し歩けばそこからがブレラ地区です。このゾーンにはブレラ美術館や名門のブレラ美術学校を中心として画廊や展示会場などが集中していて、ミラノの芸術地区となっています。家具メーカーのエドラは2003年、このブレラ地区にショールームをオープンしました。

1987年に創立したエドラ社はアヴァンギャルドなデザインを、高い技術力をもって提案する個性的なメーカーとして知られています。 ‘89年に発表したM・カナンツィとR・センプリーニによる渦巻状ソファ“タトゥリン”や、‘90年の梅田正徳による花をモチーフにしたイスのシリーズ“フラワー・コレクション”は初期のエドラの方向を位置付ける代表作です。

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'90年代半ばのエドラは素材とその醸し出す存在感をデザインの主軸に置いて、シンプルで直線的な形態を視覚的効果の高い素材で構成する方法を取りました。

製品の持つべきカタチの理論を根本から覆したポスト・モダンの末期に活動を開始し、より単純なフォルムへ傾倒していく‘90年代のイタリアデザイン界の中で培った巧みな素材の使い方・技術力を発展させ、彼らの根源であるラディカリズムを融合した結果が現在のエドラの製品だと思われます。

ピーター・トラーグによるヒビの様に皺のよったファブリックのソファ“スポンジ”、伊藤節・志信の滑らかなフォルムを伸縮性の生地で実現した“アウ”、フランチェスコ・ビンファレのあらゆる部位が起き上がって背もたれになる“フラップ”と蛇の様に自在に曲がるクッションが背もたれになるローソファ“オンザロックス”など、卓越したアイデアと素材から生まれるデザインが展開されています。 アートディレクションを担当する建築家マッシモ・モロッツィは、このように特色あるデザイナーを起用しエドラのコンセプトを明確に打ち出しています。

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モロッツィは1966年、アンドレア・ブランツィやパオロ・デガネッロらと並んで、フィレンツェに結成した建築家集団アルキズームの創設メンバーとして有名です。ラディカルデザインの時代、アルキズームはラショナリズムの極限的状態としての反合理主義に基づく建築やデザインを提案しました。彼らの代表作のひとつであるモジュールスペース“サファリ”などを眺めると、今日のエドラに通ずるものを感じます。 他のイタリア家具メーカーと同じく、エドラも家族経営で出発しています。豊かなモノづくりを目指す企業主ヴァレリオとモニカ・マッツェイ兄妹に、モロッツィの長年培ってきたアヴァンギャルド精神が加わることにより、エドラの強いデザインディレクションが生み出されているようです。

エドラの特徴は、家具を座るための道具として捉えるのではなく、置かれる空間や住まう人に対してどの様な関係性を構築していく、というポイントであると言われています。確かに「座る」という行為だけで捉えるならば、世の中にこれほど多くの家具が必要でしょうか?

私たちトーヨーキッチンも、料理する場所としてだけではなく、ライフスタイルの起点として捉えキッチンを考えています。

5月21日発表しましたISOLA type2は、足し算的なシステムから切り離し、一つの塊として考えたキッチンです。どの方向から見ても美しいと感じることの出来る個としての美しさにこだわり、全体のプロポーションを黄金比(1:1.618)に基づきデザインしました。自然な安定感、重量感を追求し、まるで彫刻の様に空間に佇みます。さらに厳正なる素材の選択、そしてディテールにわたり惜しみなくハンドメイドを施すことにより、全体の質感は他に類を見ない仕上がりです。

キッチンを料理する場所から生活の中心としてゼロから考えたISOLA type2。私たちは人生、ライフスタイルを変えるターニングポイントとしてこのキッチンをご提案します。まだご覧になっていない方は是非TOYO KITCHENショールームISOLA type2をご体感ください。

<余談> トーヨーキッチンの一部ショールームではエドラの「au(アウ)」が展示してあります。実はエドラ社から当社ショールームに設置したいとのお話があり実現しました。エドラの様な商品はまだ日本では住宅に収まることは稀でしょうが、きっと可能性は広がるものと思います(伊藤豊雄氏のトッズ表参道ビルには使われていますね)。

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Lingotto
2006年 04月 6日
フィアット多層式工場リンゴット

前回に引き続き、オリンピックで湧いたトリノのお話です。 イタリアで人に知り合うと必ず出生地を聞かれます。私が広島出身であると言うと複雑な表情を見せ(知ってる名前で嬉しい反面、原爆の惨劇で有名なので素直に喜んでいいのかどうか分からないらしい)、そして「そこには何人住んでいるの?」と来るのがおきまりのパターンです。街の大きさを推し測るのに人口の数を使うのが通例なのです。日本では自分の街の人口など訊ねられたことが無く、困って「数えたことがないから知らない」などと言っても納得してもらえません。そこで「だいたいトリノくらいの街」と言うと、やっと理解してもらえます。広島の規模、自動車メーカー(マツダ)を核とした工業都市形態、中国地方の中心都市などの面が、トリノの特徴と共通していて説明し易いのです。

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ピエモンテ州の州都トリノはミラノ近郊に次ぐイタリア第2の工業都市で、特に自動車メーカー“フィアット”の街として知られています。事実フィアット(FIAT)とはトリノ・イタリア自動車製造会社(Fabbrica Italiana Automobili Torino)の頭文字です。1899年に創立したフィアットは米フォードの大量生産方式を研究してイタリアに取り入れようとしました。土地の広いアメリカに対し、大きな工場を建てられるほど広大な敷地のないイタリアにおいてフィアットは1922年、新工場“リンゴット”の建設により問題を解決しました。ジャコモ・マッテ・トゥルッコ設計によるリンゴットは5階建ての工場で、下階から上階に上りながら順に車を組み立てていき、最後に出来上がった車両を屋上のテストコースで試験走行するというものです。卓越したアイデアに基づくこの工場は、生産工程を形態に反映した合理的な建築として、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジェにより賛美されました。実質的な役割を終え1982年に閉鎖されましたが、見本市会場やホテル、ショッピングセンターなどとして利用されることとなり、関西国際空港の設計などで有名なレンツォ・ピアノが再開発を担当しています。

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リンゴットが閉鎖されたその年に発売になったのが“フィアット・ウーノ”です。当時経営不振にあえいでいたフィアットは、このモデルの大ヒットにより勢いを取り戻しました。ウーノのデザインは前回紹介したG・ジュジャーロが外装を、ロドルフォ・ボネットが内装を担当しました。

ミラノ出身のロドルフォ・ボネット(1929-1991)は、ピニンファリーナ等でカーデザインに従事した後、‘58年に自身のデザイン事務所を設立、家具・自動車・家電製品・大型工作機などを手掛けました。‘62年に発表した目覚まし時計“スフェリクロック”をはじめ、6つのコンパッソ・ドーロ賞を受賞しています。4つのパーツを自由に組合わせて使えるテーブル“4/4”やポータブルTV“リネア1”など、‘60から‘70年代に盛り上がっていたイタリア・モダンの時代を牽引する魅力的な製品を次々とデザインしました。彼はその華やかなキャリアの中でも常に謙虚な姿勢でデザインと研究に立ち向かっており、“製品が売れればそれは販売者のおかげで、売れなければデザイナーの責任だ”と言い切っています。デザイナーの名前が製品の冠になり、次々と大量の新製品が発表される今日において、この言葉はとても重要な意味を持っているように思います。

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ミラノはイタリア半島の付け根に位置し、イタリア中部に興ったルネッサンスからの芸術文化と、ドイツからの工業技術がぶつかり合う立地条件のもと、両者の融合した成果である工業デザインが大いに発展しました。一方アルプスに隣接するトリノでは山の傾斜を利用した水力発電が発達し、それにより工業が栄え、それらの製品に必要なものとしてデザインが盛んになっていったのです。そのためミラノのデザインが情緒性の高い感覚的な面白さや美しさを重視しているのに対し、トリノのデザインは工業製品としての合理的な形態を厳格に美しく表現する手法で発展させてきました。 同じ国のデザインにおいても、それらの特徴が立地条件の違いから生まれているというのは興味深いことです。人と知り合ったときに出身地を訊ねるというのは、相手のひととなりを知る上でとても有効な質問かもしれません。

今回ご紹介したフィアットの革新的な工場『リンゴット』、限られた土地を立体的に捉え多層階にすることで有効面積を増やすという発想。トーヨーキッチンもこの考えと同じく、限られたワークスペースを立体的、多層階に考えて革新的なシンクをご提供しています。それはご存知「3Dシンク」に代表される多層シンクです。

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2006年 01月 13日
クリスマスと椅子

年末年始いかがお過ごしになられたでしょうか? 日本ではクリスマスは友達やカップルで楽しみ、お正月は家族そろってちょっと厳かに、というのが一般的ですが、イタリアはちょうどこの逆になっています。カトリックの国イタリアにおいて、クリスマスは一年で最も重要な宗教儀式が執り行われる大切な日です。一方新年はカウントダウンをして年が明ける瞬間が一番エキサイティングなイベントで(そこら中で花火を上げ、皿やワインの空瓶を窓から投げ捨てる)、その後はすぐ平常の生活に戻ります。

数年前、日本人の友人がイタリア人の家に招待され、クリスマス休暇をそこで過ごすことになりました。日本ではイヴの夜が最も華やかですが、こちらでは25日のお昼か夕方から正餐を始めます。クリスマス当日、このイタリア人の家に家族はもちろん近郊に住んでいる親類縁者が一同に集まり、盛大なパーティが開かれました。友人が驚いたのは約20人もの親戚が集結して、その人数分のイスがこの普通の家にあったということです。

イタリア語で祝祭日のことをフェスタと言います。この日には宴がもうけられるので、転じてホームパーティなど人を呼んでお酒や食事を楽しむ機会もフェスタと呼ばれます。フェスタを開くことの多いイタリアでは、各家庭が何脚もイスを持っていますが、普段は使用しない時の収納が問題になってきます。そこで重要になってくるのがイスのスタッキング(積み重ね)・フォールディング(折りたたみ)・ノックダウン(分解)の機能です。

ノックダウンのイスはバラバラにしてコンパクトになるので収納場所を選びません。お店で購入して家に持って帰るのも楽なのですが、不必要なとき解体し使うときにまた組立てるというのは手軽ではありません。どちらかといえば輸送費軽減という意味合いの方が大きいと思われます。エンツォ・マリがデザインした“ボックス”は背部を支える2本のステ−と4本の脚がネジ式になっており、工具を使わず簡単に解体・組立てができるノックダウンのイスです。分解された各部品は全て座部の中に収まるので、とてもコンパクトになります。実際、このイスをイタリアから日本へ普通の小包便で送った経験があります。

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フォールディングのイスは簡単に折りたため、平坦になるので収納性が高い反面、その機構が少しギミックになるきらいがあり、機械的なイメージが家庭用のイスとして向かない事もよくあります。ジャンカルロ・ピレッティによる“プリア”は、普通の折りたたみパイプイスの構造である3軸のリンク部分を1軸に集中させることで見た目の複雑さを解消し、メカニカルな印象を払拭しています。デニス・サンタ・キアーラの“サンタチェア”は逆に5軸に分散させることで問題を解決しており、さらに小さく折りたためるよう設計されています。

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家庭用のイスとして最も適しているのがスタッキングチェアだと思われます。積上げれば収納だけでなく、部屋の掃除の際にも勝手がよいものです。ヴィコ・マジストレッティの“セレーネ”はFRP製なので薄肉ながら非常に丈夫で軽く、何脚かスタックしても持ち運ぶことができます。 一体成型によるシームレスの滑らかな外観で、強度と脱型の理由から生まれたS字断面の脚がアクセントになっています。かつては木製であった家庭のイスが、現代の素材であるプラスチックに置換わる経緯の中で、生活道具に求められる課題を素材の特徴をいかしたデザインで解決した秀作だと思います。

毎日使われ直接体の触れるイスは、座り心地はもちろん生活道具としての使い勝手やその価格も厳しい目で判断されています。ライフスタイルの変化に伴う新しいイスのあり方、動作と支持具の新しい関係など、そんな事を考えたクリスマスでした。

私たちトーヨーキッチンも、スタッキング可能なダイニングチェアを数多く取り揃えております。 なぜならイタリア人と同じく、我々日本人であっても料理や食事を楽しむ人達にとって必需品だからです。

トーヨーキッチンが取扱うスタッキングチェアは、イタリア、アルミ家具のトップブランドであるYCAMI社の製品。YCAMI社は、現在もイタリア家具業界を支えるアルミ加工グループの家具ブランドです。アルミニウムの特性を知り尽くした製作陣がヴァーナーパントンやポルシェデザインと手を組み独自の世界を構築しています。近年ではカルロ・コロンボを起用し、ミラノサローネでも話題になりました。またイタリアの高速道路などのカフェでYCAMI社の家具は多く見受けられ、信頼性の高さを物語っています。

トーヨーキッチンの取扱うスタッキングチェアをご紹介します。 まだまだ他にもご用意しています。ホームページで是非色々なタイプをご覧下さい。

TOYO KITCHEN STYLE家具紹介ページ

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sky craper
2005年 12月 7日
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2002年4月18日、勤務していたデザイン事務所でいつも通り仕事をしていた時、ある衝撃的なニュースが届きました。ミラノ中央駅近くにそびえ建つ高層建築ピレッリビルに、小型飛行機が激突し大破したというものです。 前年9月のNY同時多発テロの記憶も新しく、この知らせに誰もが驚きと恐怖を隠せませんでした。程なく、事件はテロではなく事故であったという事が判明し胸を撫で下ろしましたが、この建築は‘20年代から‘70年代にかけて活躍した建築家ジョ・ポンティの代表作のひとつで、ミラノのシンボル的建築であるため、惨状を目の当たりにした人々のショックは相当なものでした。 事故翌日、現場を見てきたミラノ出身の同僚のひとりが、ため息混じりに洩らした「ミラノで唯一のスカイスクレーパーなのに…」というひと言は、ある重みを持って記憶に残っています。

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ミラノ出身のジョ・ポンティ(本名ジョヴァンニ・ポンティ、1891〜1979)はその生涯に数々の重要な建築を設計し、その全てを-ドアノブに至るまで-デザインしました。

照明器具、カトラリー、トイレ、そして沢山の家具もデザインしており、‘57年カッシーナ社より発表した超軽量椅子スーペルレッジェーラは特に有名です。
建築/デザイン雑誌ドムスの初代編集長を務め、世界的に権威のあるデザイン賞コンパッソ・ドーロの発起、ADI(インダストリアルデザイン協会)の設立など、その後躍進するイタリアデザイン界の基盤を築いたのは、他に例を見ない偉大な功績です。


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‘60年に完成したピレッリビルはその名のとおり、車のタイヤで有名なピレッリ社のオフィスとして建設されました。

全高127mで鉄筋コンクリート建築としては世界でも有数な高さを誇り、事実イタリアで最も高いビルなのです。‘78年ロンバルディア州により買い取られ、議会なども執り行われる州庁舎として利用されるようになりました。


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今年5月、内装も含めた全修復工事が終了し、その機能を取り戻しています。
大都市ミラノにおいて、その近代性の象徴である高層建築物がこのピレッリビルに限られるというのは興味深く、また重要な要素だと思います。
スカイスクレーパー、グラッタチエロ、空を引掻くもの。
高層ビルはそれが建つ大地よりも、手に届かない空と対比されて表現されます。
世界中どこでも大都市は地形の起伏が少ない平野部に興ってます。周囲に視界を遮るものがなく、そこにはかつて地平線の上に大きな空が広がっていたでしょう。
街が栄え都市化が進むにつれ、土木・建築技術の発展に支えられて近代建築が建ち並び、高い建物で目に映る空を削りとって行きました。
そのようにして息苦しくなってきた都市では、街なかに植物を植え緑を増やし、金属やコンクリートの建物の間にありながら、少しでもほっとできるような環境を作り出そうと努力しています。オフィスで花や観葉植物を飾るのも、同じ気持ちが作用していると考えられます。
しかし都会におけるタイトな雰囲気を作り出しているのは、建築物の数や素材ではなく実は、それにより空が見えなくなってしまったからではないでしょうか。


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ミラノが近代都市でありながら、都会独特の冷たさや窮屈感を持たないのは、街の中心であっても、視界に入る空の面積が大きいからだと思います。
上に向けて開いているという開放感は、案外小さな公園や緑などよりも、私たちの気持ちを和らげてくれるものかもしれません。
そういう観点から、2001年にNY近代美術館で行なわれたインスタレーションで、深澤直人さんが提案した空を持ち込んだ空間は、都市生活における空間デザインの方向性のひとつを示唆していると思います。
古代の伝説にあるバベルの塔から現代の台北101(台北国際金融センタービル)、さらにはNYツインタワー跡地に2009年完成予定のフリーダムタワーに至るまで、空に近づきたいという人間の欲望、権力の象徴としての高さくらべは留まる所をしらないようです。
サンクト・ペテルベルグの技術者ユーリ・アルツターノフが発案した、地球表面と赤道上空のGEO(対地静止軌道)に静止している人工衛星とを結ぶ“宇宙エレベータ”実現まで、天空への挑戦は終わることがないでしょう。
ミラノにおいてはピレッリビルが、唯一のスカイスクレーパーとして存在していれば充分なのですが。

投稿者 tks : 16:19 | コメント (0) | トラックバック(0)

INVENTING THE FUTURE
2005年 10月 13日
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アート、建築、デザイン、ファッションなど、多分野の展示会が常時開催されるミラノ・トリエンナーレ会場では、現在ジョエ・コロンボの展示会「INVENTING THE FUTURE」が開催中です。

ミラノ出身の建築家/製品デザイナーであったコロンボは、1971年、41歳という若さで不運の死を遂げるまでの短い人生のあいだ、数々の素晴らしい製品を世に送り出しました。

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彼の活躍した‘60年代は特にプラスティック材料および成型技術の発展が著しく、当時のデザイナー達はこの素材の可能性を研究し、生活空間における樹脂製品のカタチを追求していました。その中でコロンボも例にもれず、プラスティックでなければ実現できないアイデアを用いて、イス、テーブル、ソファといった家具から照明器具、さらには住空間そのものをトータルで提案するに至りました。

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もちろんコロンボは樹脂のみならず、あらゆる素材を用いた製品を手がけています。デザインプロセスの中で素材とその加工方法に注視し、それが金属なら金属の、ガラスならガラスの、適切でロジックな形態を導き出しました。

それらの製品はじつに魅力的でユーモアにあふれ、生活を豊かにする質の高いデザインとして人々に愛されました。

彼がイタリアの航空会社アリタリアのためにデザインした機内食用の食器とカトラリーは、こっそり持ち帰ってしまう乗客が後をたたなかったということです。

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この展示会はジョエ・コロンボの単なるアンソロジーで終わらず、彼の残したドローイング、手記や手紙などの展示を通じて、彼のひととなりを感じさせるものになっています。たいていのイタリア人は字を丁寧に書くという観念に乏しく、ミミズの這ったような解読困難な文を書くものですが、コロンボの非常に整った手書きの文字からは、緻密で繊細な彼の性格を読み取ることができます。また、友人に宛てた手紙はとても礼儀正しく文章に心がこもっています。それが仕事に関連したものであってもビジネスライクにならず、人間の温かみを感じさせます。

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コロンボのデザインはどこか近未来的でユニークなアイデアに満ちているため、彼が頭の中に描くサイエンスフィクション的世界をそのまま実生活へ投影したものと思われがちですが、実際は消費者(使用者)のライフスタイルを徹底的に研究した成果であり、機能と形態との相互関係を独特の視点から構築した結果なのです。

死後30年以上経った今でも多くの製品が生産され続けていることは、彼の見据えた方向性の正しさを証明していると思います。

Joe Colombo:INVENTING THE FUTURE は2005年12月18日までの開催です。www.triennale.it

投稿者 tks : 15:48 | コメント (0) | トラックバック(0)

Beatles day a Milano
2005年 06月 30日
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ビートルズの4人組が列車でミラノ中央駅に到着したのは、1965年6月23日。翌24日のイタリア公演ツアーの初日には、ミラノ市内のビゴレリ競技場に、2万人の熱狂的なファンが詰め掛けたそうです。

このビートルズの40年前のミラノ公演を記念して ≪Beatles day a Milano≫ というイベントが市内の3個所で行われました。

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、、、1965.6.24 _アレッ、SALVARANI CUCINEがスポンサー?
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↑、、、2005.6.24/25
■ビートルズは永遠に不滅! 、、、40年経った今も衰えぬイタリア・デザイン
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↑、、、1965年にデザインされ、今ではその復刻版が楽しめる。 イタリア・デザインは、1930年ごろからの長い歴史があるが、戦後の50年代に入ると、それまでの職人工芸の時代だったのが、近代工業へと転換し、量産することのできる製品が多く生まれ始めました。 マルコ・ザヌーゾの「レディ」や、カスティリオーニ兄弟の「サンルーカ」など、曲線の椅子が生まれ、その後、ヴィコ・マジストレッティらが加わり1970年代まで黄金時代に突入した。
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、、、特に1963年にジョエ・コロンボ が彗星のごとく登場。 現在でも、イタリアデザインを象徴する天才デザイナーらのプロダクトの多くが、イタリアンミッドセンチュリーとして、オリジナルや復刻版が魅了されています。

投稿者 tks : 14:28 | コメント (0) | トラックバック(0)

cappellini 2
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カッペリーニCappelliniが、ニューヨークにショールームをオープンした後、 というイベントを催しています。

カッペリーニのオーナー G. カッペリーニと、シャルメの代表モンテゼーモロ氏の長男M.diモンテゼーモロとの企画で、今後、世界主要都市でも行っていく様子です。そのイベントの内容については、追って探ってみたいと思います。

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投稿者 tks : 14:23 | コメント (0) | トラックバック(0)

giugiaro archi
2005年 05月 16日
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自動車だけでなく、各種の工業製品(パスタまで)のデザインを手掛ける、世界屈指のインダストリアルデザイナー ジョルジェット・ジウジアーロGiorgetto Giugiaro 率いるジウジアーロ・イタルデザイン・グループの建築設計部門「Giugiaro Architettura」。
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「Giugiaro Architettura」、、、お台場に建てられた日本科学未来館のライブラリーの内装計画など、近年、その活動は世界へと拡がりつつある。
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■ ミラノに建てられた G.A. デザイナーズマンション 4階建二棟の双子G.A.マンションは、一戸50平米から90平米の全21戸、ニュージェネレーション層を対象とした。ちょっと「和」的なパティオや素材に「木」が多く使われているのが特徴(?)のようだ。
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投稿者 tks : 11:09 | コメント (0) | トラックバック(0)

saloni worldwide
2005年 05月 2日
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ミラノサローネから一ヶ月余りが過ぎ去り、あの熱気もチョット冷め始めようとしているが、世界66カ国から取材に訪れた4,012名のジャーナリストらは、いろいろな見方をしているようだ。
デザインDESIGN、ネオデコNEODECOR(アールデコの影響を受けた新様式?)、スピゴリSPIGOLI(角々な新形状)、カラーCOLORE といったカテゴリーで紹介された記事がある。
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・デザインDESIGN:時代が探し求めている?、、、どっしりと存在しつづけてきたモノたちへの反抗(イイ意味で)からか?
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・ネオデコNEODECOR:装飾的なクラシカルな表現への回帰。色・柄・質感などテキスタイルが豊富になり、プラスティックなどによるレースや布地の柄のような表現。
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・スピゴリSPIGOLI:コンスタンチン・グルシックに代表される3Dのコンピュータグラフィックスのような構造と頑丈な機能美。
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・カラーCOLORE:何に使われるかを想像することの先に、思議さに圧倒される。間違いなく何かが、見る人の心に刺激を与え、何かを変えていく。
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、、、確かに今風なカタチでとても美しいとは思うが、コントラクトとかファッション感覚的消費型スペース向きにみえる。 、、、それはそれで良いのだが、自分の書斎には、C&R・EamesのSessel(1956年)のラウンジチェアを置きたいと思う。 

投稿者 tks : 11:45 | コメント (0) | トラックバック(0)